blow in the wind

日常あったこと、音楽🎵映画🎥読書📖創価学会の事気ままに書いています

炎舞

『炎舞』


今日6.21の聖教新聞に
速水御舟の『炎舞』が
紹介されていました
初めて観た時はショックでした。
燃え上がる炎に次々と
飛び込む蝶や蛾たち。
虫の性質として灯や火に
飛び込むことは想像できましたが   
燃え上がる炎に身を躍らせてゆく・・・
そして江戸にいるとき、
何処で観たかは忘れましたが
ある美術館で観たときは
初めて観たときのショックが
蘇ってきました。
何分その絵の前にいたことでしょう
いえ、何十分でしょうか?
思っていたより小さな作品だったのに
壁にかけられた『炎舞』は、
黒塗りの式台にその姿をあらわしていた。
炎の色は朱でもなく赤でもなく、
なんと言えばいいのだろう
不思議な色だった。
私の心にも炎が揺れ、
蝶が舞う なんだか蛾の魂が
昇っていくかのように思えました。
年齢を重ねて今、
鑑賞させていただいたら
どんな感想を持つだろうか?
そんな自分に会ってみたいです。
たぶん、全ての悲嘆、
悲哀なるものを呑み込んで、
さらに更に 激しく燃え上がる
炎に恋焦がれるのではないかなぁ
私自身が炎に飛び込む蝶なのだ。

うつ ってなんだ

うつで悩んでる友人と対話してきました


新型コロナウイルスの感染が拡大している中、
うつ病など精神疾患の罹患者が増加している傾向にあるとのこと
私も心療内科通院初めてもうすぐ10年になるかな?
ですから精神的病で苦しんでる方のお気持ち痛いほどわかります


今の日本まともな精神状態ではいられない
倒産やリストラによって失業し、家のローンで、人生設計が狂い、
はたまたボーナスカットによって崩れ去ってしまう・・・・
現代社会には、様々なストレスが蔓延し失業、借金苦などで自殺者が増える


そとを歩けば、モラルを忘れた人生に疲れた連中が街を歩いてる
そんな中に身を寄せてる。、精神によかろうはずがない!。



私も精神的トラブルが因で精神的に追い込まれました時期がありました
これは辛いです。最初に下痢や食欲不振が襲い、ついで睡眠不足になります


寝れなくなるのです。人間寝れないとマジで辛いです。心療内科に行き
しばらく、投薬治療を受けてました。投薬治療を受けたことで随分楽になりました。


「精神を病むことは、風邪ひいたのと同じでなんら変わらない」と思うのです


心療内科に行くことは恥ずかしいことじゃない
きちんと治療することも大事です


イライラしやすいという方は多いようですが、人様に迷惑かけなきゃ
別にイライラしてもいいじゃないですか(^^)v
イライラの仕方が問題ですけどね(^。^;)


「誰も俺のことを必要としてない」という方もいます


自分は自分のために生きればいいんです。
人と人はつながってるから絶対にあなたを必要とする人がいます。
今は自分のためにいろんなことをやればいい


昔はスポーツを楽しんでたのに今は楽しめなくなったと嘆く必要などない
だって、一生通じて、ず~っと同じことを楽しむなんてプロじゃないぃんだから
人間の興味なんていつも変わります
現に、私だって走ったり、自転車こいだり、水泳したり・・・なんて


そんなしんどいことできるかぁという人間でしたが、今じゃそれらが大好きです


しかも、草花に興味を持つなんてゆめゆめ思わなかったです(^。^;)
いろいろあるかも知れませんが精神が病んだら、


きちんと治療しましょう
きっと良くなります。少しでも良くなるきっかけがつかめます。


一人で悩まないで・・・・


題目PROなどオンラインで話す時間を作るなど、
無理のない範囲でコミュニケーションを
とることで心の安定が図りやすくなると思うのです
心のリハビリを毎日しております
そして、無理をしないことです



譬へば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し。
只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。
是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし。
深く信心を発(お)こして、日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨くべし。
何様(いかよう)にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、
是をみがくとは云ふなり。」


(『一生成仏抄』 御書46㌻)

人を笑えば自分も笑われる

何故信仰は必要なのかという河合一著から引用


高山に登る者は必ず下り我人を軽しめば還て我身人に軽易せられん形状端厳をそしれば醜陋の報いを得人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる持戒尊貴を笑へば貧賤の家に生ず正法の家をそしれば邪見の家に生ず善戒を笑へば国土の民となり王難に遇ふ是は常の因果の定れる法なり
御書九六〇ページ


これは般泥旦経に説かれている因果の法則を説明されたもので、その意味は―――高い山
に登った人は必ずくだらなければならないように、人をバカにすると自分もバカにされ、
顔や姿、形の美しい人をねたんで悪口をいうと、醜い姿で生まれ、人の着る物や食べ物を
盗んだり奪ったりすると、必ず貧しい餓鬼界の状態で生まれなくてはなりません。また、
よいことをする立派な人を笑うと、貧しくいやしい境遇に生まれ、正しい信仰をしている
家庭を非難すると、あやまった信仰をしている家に生まれてしまいます。良いルールを守
っている人を笑うと、悪い国に生まれて迫害
されるというのが、普通の因果の法則である
――ということです。
この方程式にあてはめてみると、現在のいろいろな不幸はすべて過去世に他人を苦しめ
たり、バカにしたり、悪口をいったりした悪業 (悪い行為)の結果であることがわかります。
つまり、人に石をぶつけたらぶつけ返されたというように、人を苦しめると、その結果、
自分が苦しまなくてはならないのです。反対に、他の人の生命にプラスになることをした
場合は、自分にもプラスの結果が出てくるのです。これを善業善果といいます。
しかし大聖人は「日蓮は此因果にはあらず」(同九六〇)とおおせになり、ご自身が貧
しい家に生まれ、さまざまな苦難にあわれたのは、そういう普通の因果の方程式ではなく、
過去世に法華経の行者をバカにし、法華経をそしり悪口をいったため、まとめてそうした
苦難を受け深ければならなかったのだ、と述べられています。
つまり、謗法(正しい法にそむくこと)があらゆる不幸の根本の原因となっていることを教
えられているのです。