blow in the wind

日常あったこと、音楽🎵映画🎥読書📖創価学会の事気ままに書いています

法華経の智慧6巻より

「この二人の子は、私の善知識です。私を救いたいと思って、私の家に(子どもとして)生まれてきたのです」
・・・ 自分の子どもに心から感謝できる境涯に、成長したのです。
・・・ 家族は「善知識」なんだというのが、法華経の家族論のポイントではないでしょうか。自分の信心を磨き、人間として向上していくための「善き友」です。初期の仏典にも「妻は最上の友である」「わが家の友は母である」等とあります。
・・・ 家族になるのも深い宿縁です。「父母となり其の子となるも必ず宿習なり」(御書902頁)と。
夫婦についても「是れ偏に今生計りの事にあらず」(御書1088頁)と仰せだ。深い縁のもとに、せっかく家族になったのだから、互いが互いの幸福を増進させる「善き友」でありたいものです。


法華経の智慧6巻より
三世を貫く生命の一族です。善友の連帯です。生命は不可思議です。人間はいずこから来て、いずこへ行くのか。これは科学でも、政治、経済でも解決できない。これを解決できるのが仏法です。
本当に、いい家族、いい恋人に会った。幸せだ ・・
しかし、生老病死がある。いつかは別れなければならない。「愛別離苦」がある。しかし妙法を信じていれば、生々世々、一緒に生まれてこ
られるのです。ある場合は親子、ある場合は夫婦、あるいは弟に、妹に、親友に、いろいろ姿は変わるけれども、生々世々、ともかく近くに生まれてこられる。そして「共に宝所に至る」(法華経353頁)のです。だから妙法は素晴らしいのです。その原理を、妙荘厳王一家は教えているのです。
もちろん「二度と会いたくない」(笑い)というようや場合には、一緒に生まれてこない。自在です。

十年偉大なり

カー用品のイエローハットの創業者、
鍵山秀三郎の著作に1日1話があります。
全編を通じてのキーワードは掃除であります。
折にふれ読んで、自分の糧とさせていただいてます。
中でも好きな言葉は


謙虚


傲慢な人は他人を幸せにすることができなません。
人間としての第1条件は謙虚であることだと思います。
さて今日はその中で以下の言葉を紹介したいと思います


「十年偉大なり、二十年畏(おそ)るべし、
三十年にして歴史なる」
どんな些細なことでも、
本気でやり続けると思いもかけない大きな力になります。
大切なことは、
今自分が出来ることに心をこめて取り組むことです。
些細な平凡なことを何の見返りも求めずにやり続ける事は大変なことです。
鍵山秀三郎氏はトイレ掃除を今日まで40数年間続けて来られたそうです
氏は言っています
トイレ掃除をしていると、自然に謙虚な気持ちになります。
トイレ掃除を続けると例外なく謙虚な人間に変わりますと・・・
トイレ掃除という平凡な小事を非凡にやり続けることで、
自分のまわりの環境が少しずつ変わっていきんでしょうね。
口で言うことは簡単ですが、諦めず根気よく続けることって大事ですよね
わたしも十年以上続けてきているものを考えてみました
まず食って寝る・・・(^。^;)失礼しました
日記は中学から続けています。
あと????考えてみたら10年以上続けてることなんて
そんなにないです。
皆さん、いかがでしょうか?
良いことは取り敢えず、まず10年を目標に続けていきたいと思います


池田先生は100周年への10年は、一人一人が「人間革命」の勝利の実証を
いやまして打ち立て、いかなる「大悪」も「大善」に転じて、
いよいよ人類の「宿命転換」を、断固として成し遂げていくべき勝負の時であります。と
私たちは「大法弘通慈折広宣流布」の大願で結ばれた創価家族であることを
確認し創立100周年へ

阪神大震災から26年

26年前、朝のニュース番組を見ていて、出勤間際に「関西で大きな地震があった模様です」というアナウンサーの速報。
それから。阪神大震災の対応が遅れた村山政権の無力に腹を立てたり、まぁそれはいいや(^-^;
震災があって数ヶ月後かに神戸の友人にあいに行ったことがあります
神戸市長田区の風景は今でも忘れられない。多くの建物が 焼失し一面が焼け野原でした
なんか体に振るえが走ったのを覚えてます
あのときは涙が止まらなかった。
いろんな方のお話を聞くことが出来たのですが
同じ思いで苦しんでいる人のためにも、頑張ろうと思ったとか絶対に復興させて見せる。負けるものか!とか・・・そういった
前向きの言葉が多かったことも覚えています
ただ忘れちゃならないのは
死者の8割は建物の倒壊による圧死なのです。
耐震化を食い物にした奴ら、お前らこの数字はわかってるのか。
安心・安全な建物つくり、そして安心・安全な国土づくりへ今後も進んでもらいたいものです。


愛媛大学教授 村尾 行一氏はいいました
現代人が失いかけている「人情」を今なお脈打たせている関西人の精鋭が関西創価学会員です。
多くの学会員も被災しました。
自分自身も被災者であるのに他の被災者の救援に大活躍していることは
私も知っています。助けられる立場にとどまることなく、自他ともに助けるものとなっています。
まして無事であった会員は関西中から救援に馳せ参じています。
こうした人々が、まるでわき出るように出現したことに私は感激しました。
これこそが「地涌の菩薩」ではありませんか。
 なぜ兵庫県南部地震のことを話すかというと、
ここに「今後の宗教の意義」が具体的に示されていると思うからであります。
現代社会の代表的な病理を「大衆社会化」と申します。そして関西人は、それとは正反対の精神態度を見せてくれたからです。
 大衆社会的状態の特徴は人々が無感動・無関心状態に陥り、他人との連帯が切断された「砂のごとき群衆」になってしまい
さらに倫理等の価値観が解体することです。この状態を克服する「もう一つの」価値観のもと、連帯と規範を構築し、
将来展望を示すことが宗教の最重要課題だと思います。


まさに「地涌の菩薩」