blow in the wind

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人を笑えば自分も笑われる

何故信仰は必要なのかという河合一著から引用


高山に登る者は必ず下り我人を軽しめば還て我身人に軽易せられん形状端厳をそしれば醜陋の報いを得人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる持戒尊貴を笑へば貧賤の家に生ず正法の家をそしれば邪見の家に生ず善戒を笑へば国土の民となり王難に遇ふ是は常の因果の定れる法なり
御書九六〇ページ


これは般泥旦経に説かれている因果の法則を説明されたもので、その意味は―――高い山
に登った人は必ずくだらなければならないように、人をバカにすると自分もバカにされ、
顔や姿、形の美しい人をねたんで悪口をいうと、醜い姿で生まれ、人の着る物や食べ物を
盗んだり奪ったりすると、必ず貧しい餓鬼界の状態で生まれなくてはなりません。また、
よいことをする立派な人を笑うと、貧しくいやしい境遇に生まれ、正しい信仰をしている
家庭を非難すると、あやまった信仰をしている家に生まれてしまいます。良いルールを守
っている人を笑うと、悪い国に生まれて迫害
されるというのが、普通の因果の法則である
――ということです。
この方程式にあてはめてみると、現在のいろいろな不幸はすべて過去世に他人を苦しめ
たり、バカにしたり、悪口をいったりした悪業 (悪い行為)の結果であることがわかります。
つまり、人に石をぶつけたらぶつけ返されたというように、人を苦しめると、その結果、
自分が苦しまなくてはならないのです。反対に、他の人の生命にプラスになることをした
場合は、自分にもプラスの結果が出てくるのです。これを善業善果といいます。
しかし大聖人は「日蓮は此因果にはあらず」(同九六〇)とおおせになり、ご自身が貧
しい家に生まれ、さまざまな苦難にあわれたのは、そういう普通の因果の方程式ではなく、
過去世に法華経の行者をバカにし、法華経をそしり悪口をいったため、まとめてそうした
苦難を受け深ければならなかったのだ、と述べられています。
つまり、謗法(正しい法にそむくこと)があらゆる不幸の根本の原因となっていることを教
えられているのです。